感想日記 夜明けの青

主に小説・アニメ・マンガの感想、日記、雑感 誰かの役には立ちません @madderred100

感想「NHKスペシャル ブループラネット 第一章」巨大なものに包まれる幸福

NHK制作の、海洋ドキュメンタリー。初回放送は五月六日だったけれど、今日改めて、録画したのを見た、ついで、第二回の放送が六月三日に迫っているので、感想を書いていこうと思います。

 

ぼく個人として、こういった自然系のドキュメンタリーとかはかなり好みで、見かけると大抵はチェックをします(チェックの網が雑なので、天網恢恢疎にして漏らしちまったりですが)。

 

 

↑の作品とか、同じNHKでプラネットアースとかありました。プラネットアースユキヒョウの母親の話が、非常に良かった。何ていうか、ぶっちゃけて言ってしまうとエロい。猫を飼っている人は分かると思いますが、彼ら、甘える時(?)に、お腹を見せて、地面に背中を擦り付けるじゃないですか。いうと、あれなんです、ユキヒョウの話は。確か、子育て中の母ユキヒョウが、二匹の雄に同時に遭遇してしまったというシーンで、母親は子供を逃がすために、その二匹の雄を同時に手玉に取るんですね。その時に取る行動が、↑のお腹を見せるポーズなんですよ。ユキヒョウ自体が個体数が少なくて、覚えてる限りでは、彼らは出会った瞬間が交尾の唯一の機会なんですよね。ナメクジとかと一緒です。けれど、その母ユキヒョウには子供がいる、しかもまだ半人前。じゃあ、どうやってその子供を守るのか、番組自体はそこまで直接的、というか断定はしていなかったと思いますが、あれ文字通り、身体を張って、子供を守った、と自分は解釈(想像?)しています。

 

まあ、余談はこのくらいにしておきます。

で、ブループラネットの話ですが、ぼく、海の青色って、すごく好きです。同時にとても恐ろしく感じますが、それでも好きだなぁと思うんですよね。映像美ってやつですね。ドローンとか撮影技術、あとは見てるこちら側の進歩、デジタル配信とか4Kとかがあっての世界観だなって、強く感じます。これって一昔前じゃ見れなかったよな、見に行った本人たちだけの世界だよな、と思うと、ぞっとします。

ちなみに、内容についてはほとんど語らないと思います。見るのが一番手っ取り早いです。

で、海の途方もない広さ、青さ、ドロップアウトから深海を眺めた時の底知れなさなど、見ていると、自分の存在が揺らぐような恐怖感を感じます。けれど、ぼくはそれを感じたくて、こういった海のドキュメンタリーを見るんですね。海を眺めた時の恐ろしさって、結構分かってもらえると思うのですが、その恐ろしさというのは、かなり逆説的なものじゃないかな、と考えています。というのも、ぼくがいつも考えるのは、水に包まれている、ということだからです。包まれる、というと何か安心感を覚える言葉であり、ライナスの毛布(セキュリティブランケットでしたっけ?)という言葉も示す通り、自分と世界を一枚隔てさせるもの、それが安心を与えてくれるものなのです。が、海はどうにもそうじゃない。ぼくなんかはドキュメンタリーを見る時は、必ずカメラに感情移入(カメラという視点と、そこで撮影をしているカメラマンへ)するのですが、そこは確かに水に包まれて、自分は海という広大な世界の一部であるはずなのに、拒絶されているという感じを強く受ける。ぎゅっと押し潰される、と思った瞬間に、その恐怖はなくなって、テレビの前の自分に立ち返る訳です。

 

今日、ちょうど栗本薫さんの「レダ」を読み終わったのですが、その冒頭(これはレダいて、繰り返される主題でもあります)で、主人公のイヴが、ぼくという存在が希薄になって、押し広がっていって、シティとラブする(作中では行為する、と書いて、ラブとルビがふられます)と言うのです。

それを読んだとき、ああ、これは僕のことが書かれている、と思いました。いつもそんな傲慢なことを思う訳ではないですよ、念のため。何者かを無性に抱きしめたくなる欲求というか、とにかくあなたは誰かに必要とされていると、真剣に伝えたい気持ちのようなものを、ぼくは時折感じるのですが、それは大抵、何か大きなものを前にしたときに、そう感じるようです。高い空に浮かぶ、大きな入道雲や、高所から見下ろす街並み、喧騒の届かない森の中、などなど。無性に誰かを愛したくなるのは、自分だけではないんだ、と分かって、ぼくはほっとしたくらいなのですが、これってつまりはどういうことなんだろうか?

正直に言えば、ぼくも分かりません。けれど、この気持ちは包まれる幸福感に裏打ちされたものだろうと思います。人間は全体の一部であるということを意識することを幸福だと思うようにインプットされた動物だとぼくは思っているのですが(何か組織などへ帰属感を持つと生きがいを感じるように)、これもその一種ではないかな、というのがぼくの考えであります。先述したように、大きなものを前にしたとき感じるのは、包まれているという感覚、そして幸福感ですが、じゃあ海の場合、何か拒絶のようなものを感じる、といったのは何だったのか?

まあ、これもまた自分には分からないのですが、愛することと拒絶されることは、ぼくは一対だと思っています(誰でもそう思っていますよね、多分)。愛を無条件で受け取ってもらえると信じている人、拒絶されることばかり考えて、一歩踏み出していけない人、どちらも浅薄で片手落ちな認識ですよね(自分だってそういう考えをしてしまいますが)。なので、結論は愛することも拒絶されることも、あまり恐れすぎないで、どちらも経験していきたいですよね、だから海を見た時に感じる恐怖と幸福感は大事にしたいな、とかいう面白くも何ともないものになります。

 

おまけですが、この第一章は構成がかなり回帰的で、脚本(?)的に素晴らしいと思うので、そこも注目してみてください。不毛の海から始まり、イワシの群れ、それを襲う捕食者たち、そして……。ぼくが言葉で説明してしまうより、実感してもらった方が得るものは多いと思います。それでは。

 

手紙の返事を考える、五月の終わり