感想日記 夜明けの青

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感想「リラックマとカオルさん」変わらない日常に癒されても、変化を楽しもう

 

SAMPO

SAMPO

 

 

 netflixのオリジナルアニメ。破格の面白さだったので。

 

 今回注目したいのは、コマドリアニメという部分。さらにいえば、その照明の使い方について。

animeanime.jp

 こちらの記事で監督がおっしゃっているように、4K撮影や、自然光へのこだわりなど、実在感の表現にかなり気を遣っているようです。自分としては、カオルさんの部屋の細かな家具やインテリアはとてもおしゃれで素敵だと思いましたし、光の使い方に関しては、五話の「お盆」で見せた、蝋燭の灯りなど、本当にそこに世界があるように思えて、没入感がすごかったです。陰影のつけ方がすごくリアルなので。

 

 それで今回、脚本がすごくプレーンでいいなあ、ハッピーだなと思っていたのですが、ちょっと調べたら荻上直子さんという方は、のんびり系と毒のある感じのミックスの方みたいですね。ちょっと、自分の見る目のなさに落胆。

【ネタバレ考察】『リラックマとカオルさん』荻上直子節炸裂!深淵なる闇を魅せるNetflixアニメチェ・ブンブンのティーマ

 こちらの方が、その方面に関しては詳しかったです。

 

 さて、今作を見て思ったのが、癒しを前面に出した作品ではあるけれど、それ以上の意味もまた、しっかりと描き出されている傑作だと思いました。そこで、ここでは変化について、考えてみたいと思います。

 

 「リラックマとカオルさん」ですが、一話につき一月、時間が進んでいき、計十三話でカオルさんたちの一年を描いています。これ自体は、日常を楽しむ物語として標準的なフォーマットと思います(天野こずえさんの「ARIA」など)、物語のピリオドとして、引っ越しを差し入れている点も、ごく一般的と言えるかもしれません。

 勿論、その中にも、失敗からあまり学ぶことのないカオルさんや、進展しているように見せて、ちっとも関係の進んでいない恋愛など、逸脱している部分を見つけることはできるのですが……。

 そんな単純で強固な物語の構造を持っている今作、ともすれば、ありきたりで退屈な作品になってしまいそうでもありますが、そうならなかったのは、脚本のわずかな毒やリラックマのシュールなビジュアルなど、様々理由が考えられます。

 

 ですが、注目したいのはストップモーションアニメだということ。上述した、自然光やインテリアへのこだわりは、全てこの一点に支えられている。恐らく、これが3Dアニメだったのなら、ここまでの作品にはならなかったんじゃないか、とぼくは思います。

 アニメーションでは影を付けるのは難しいのではないでしょうか。アニメ塗りと言われるように、平面的な色彩で単純化された陰影が、今の手書きアニメでは主流です。少し考えれば分かりますが、実際に光を当てて撮影するのと、光を想像の中で再現するのでは、どちらが簡単か、ということですね。

 わずかな手触りまでも再現された映像で、過ぎ去っていく日常を切り取る。そこに変化の香りが漂うのは、ごく自然なことだとぼくは思います。撮影し、少し動かして、また撮影するという、コマドリの作業は、製作者の想定以上のことが起こりやすいのではないか、と。

 

 ここでもう一度、脚本の話に戻りたいのですが、この物語の主人公であるカオルさんは、実は物語を通じて、ほとんど変化していないのです。むしろ、変わっていくのは彼女の周囲の人物で、顕著なのは後輩のサユちゃん。彼女は物語の終盤、ついには結婚してしまいますし、アパートの住民のトキオくんは寂しがり屋で、それ故に人に意地悪をしてしまうような子どもだったのが、リラックマに出会って以降は、素直な少年になります。

 カオルさんに訪れた変化は、外側から来たものばかり。それでも十三話までを見て、ぼくたちが何か清々しい気分になって、彼女の引っ越しを見送るのは、ストップモーションアニメの力なのではないかな、というのが今回の話でした。

 

 この記事、元はインテリアいいよね、光の使い方いいよね、したいだけだったので、ちょっと支離滅裂です。

大雨のあとのおだやかな五月