感想日記 夜明けの青

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感想「人身御供論--通過儀礼としての殺人」著 大塚英二 近代における成長と自閉

 

人身御供論 通過儀礼としての殺人 (角川文庫)

人身御供論 通過儀礼としての殺人 (角川文庫)

 

 ちょっとメモ程度の内容です。

 

 近代以前の通過儀礼とは、生の世界であるムラという共同体から、死の世界、外部である山を通り、もう一度、共同体へ帰るという行きて帰る物語としてあった。その民俗学的意味は、神の領域とされた子どもを、人の世界、ムラ、共同体へ再生産する試みであった。

 つまり、通過儀礼とは成熟を意味するが、その成熟とは共同体でのみ作用する、言い換えれば、共同体におけるある位置を占めるための儀式であった。

 

 一方、近代を迎え、村と村の境界が、行政区という一本の明瞭な線によって規定されることで、ムラ共同体の外部というものが存在しなくなり、国家に変わった。また、ムラに対置する形で、外部としての都市が完成し、外部へ旅立ち、共同体へ戻るという通過儀礼は、金の卵に代表されるような、都市に根付く出奔へと変化し、通過儀礼はその外部を失ったことで、崩壊した。

 

 本書で書かれていた、近代における通過儀礼とは、共同体への同化であり、それはある種の自閉だという文章は、現代の党派性を重視する、ネトウヨ、パヨク、ネトフェミを思わせた。

 通過儀礼とは、自らの世界観を共同体と同一化するという過程を経て、ようやく共同体に迎え入れられる。それを多様性という名の下で、世界観が乱立する現代に行おうとすると、それはやはり他の共同体への攻撃性へと変化するのだろう。

 

 もはや、ある一定の価値観への同化を成熟と呼ぶことはできない。それは近代以前の成熟の形なのだろう。

 

大雨の前日の六月