感想日記 夜明けの青

主に小説・アニメ・マンガの感想、日記、雑感 誰かの役には立ちません @madderred100

感想「ティム・バートンのコープスブライド」 人身御供としての花嫁

 

 

あまりに花嫁のエミリーがかわいすぎたので。

 

以前、ブログでも記事を書いたのだけれど、人身御供論、という大塚英二さんの著作がある。内容は、女性の物語の類型としての、猿の婿入を題材に、ライナスの毛布へと至る、批評である。

 

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 そこで紹介される、猿神について、話したい。

 

 猿の婿入の物語において、猿神は、娘を嫁に取り、共同体からある種、誘拐する役割で登場する。これは一種の死と再生の物語であるから、猿神とは死を司るもの、近いイメージで言えば、ハーデスなどと同じ悪い神である。

 だが、一度、娘を嫁に取った猿神はいい夫であることが大抵で、さらにいうと、娘を共同体へ返すとき、彼自身の死を贄として、共同体への復帰、つまり死からの再生を手助けする、という二つの面を持つ。

 

 映画を見た人には、もう分かったかもしれないけれど、この役割は「コープスブライド」においては、死んだ花嫁であるエミリーが担っている。主人公であるビクターのプロポーズ(の練習)を受けて、死後の地下の世界へ彼を招き入れる。これは象徴どころか、文字通り、死の世界への案内人である。

 

 そして、ビクターが元の世界へ帰るきっかけとなるのも、エミリーによるものである。ビクターとエミリーの結婚式に現れた、本来の花嫁ビクトリアを、彼女は歓迎し、ビクターを手離す。

 

 だが、猿の婿入と「コープスブライド」を比較した時、面白い差がある。それは、猿神が男神だったのに対し、エミリーが女性である点だ。多く、主観的表現を排し、客観的に語られる民話においてさえ、猿神の死について、娘たちは和歌を唄い、その死を悼む。これが、近代以後の、内面を持った女性のキャラクターであったら、どうであろうか。

 

 ラスト、エミリーの姿が蝶へと変わり、月夜に飛び立っていくシーンは感傷的で、あまりに美しい。苦悩を持ち、葛藤し、恋心に揺れる乙女の、はかない自己犠牲はぼくらの胸を打つ。

 

 

 

 今回、創作家としての自分への教訓として、換骨奪胎とはこのように行うのだ、ということだった。新しい物語とは、古い物語からしか生まれない。いかに自分の生活の中に、きっかけを持つことができるのか。想像力はそこにフックをかける。

 

少し寒くないか? 八月の夜