感想日記 夜明けの青

主に小説・アニメ・マンガの感想、日記、雑感 誰かの役には立ちません @madderred100

感想「異類婚姻譚」著本谷有希子 変わりたくないけれど良くなりたいという欲望

 

 「はやて×ブレード」という漫画を読んだ。とある寮生の学園で「剣待生」と呼ばれる剣術を収めた学生が日々「星獲り」という勝負に切磋琢磨している。この学園の実態は、生徒会長を務める天地ひつぎが実家の天地グループの財力で作り上げた、ある種の箱庭である。

 こんなエピソードがある。天地グループのライバルグループである神門の娘の神門玲は、神門の跡継ぎの地位を得るために、天地学園の権利を欲していた。玲の女性だからと軽んじられてきた過去や、「刃友」である紗枝の政略結婚など、さまざまな要素が絡み合いながら、天地学園を賭けた「星獲り」を天地ひつぎへ申し込む。

 死闘の末、玲はひつぎに負けを喫する。しかし、ひつぎは玲へ学園の権利書を渡してしまう。玲は権利書を手に父親のもとへ向かい、跡継ぎの確約を得ようとするが、はぐらかされてしまう。結局、玲は権利書を渡すことを拒み、すがすがしい顔で学園へ戻っていく。

 

 このエピソードに違和感がある。玲や紗枝の未来は何も変わっていない。玲は神門グループでは透明な存在のままであるし、紗枝は好まない人物と結婚せざるを得ない。けれど、二人はどこかふっきれた顔で箱庭である学園へ戻る。自分の意志を貫いた結果だととらえることもできるが、それは所詮、学園を去るまでのモラトリアムに守られているに過ぎない。モラトリアムの時間が終われば、彼女たちの自由は消えてなくなり、覆しようのない現実が二人を押し付けるだろう。

 ここに作劇上の欺瞞があるのではないか。

 真に玲と紗枝が自由をつかみ取るのであれば、引き続き、彼女たちを繋ぎとめる家の鎖を破壊する努力が必要なはずだ。私がここに見るのは、本当に変わることを求めていないが、今の自分を否定したくないがために変化することを選ぶというポーズをとる姿だ。未来を変える気はない。けれど、今のままでは駄目だと分かっている。そのための行動は、変わる気はあるけれどそれを周囲が許さない、といった形の弁明になる。あるいは、変わらなかったけれど私は行動した、だろうか。それらは自己防衛の心理として否定しがたいが、自分の意思・行動が何事かを良くしたという錯覚を招くに至っては、夢物語を騙った悲劇だろう。

 

 さて、「異類婚姻譚」である。

 旦那と顔が似てきたと気付いた「私」は、蛇ボールという互いの尾を共食いした蛇がやがて球状になって消滅するという話に憑り付かれ、旦那や自分の顔が互いの顔をまねし始めていると考えるようになる。やがて、体調を崩した旦那が家にいる時間が長くなると、「私」は旦那と自分が、顔だけでなく存在までまじりあっているように感じ、旦那を山芍薬へ変えてしまう。

 

 という話だと私は読んだ。

 自他境界の曖昧になった「私」は最後には旦那を拒絶する。精神的な不調をきたした旦那が毎日つくる揚げ物を拒み切れず、なんとなく受け入れているうちに、「私」は不快感を覚えるが適切に切り離すことができない。旦那には「大事な話」をする力は残っていない。

――私になるんじゃなくて、あなたはもっと、いいものになりなさいっ。(中略)

――旦那はもう、山の生きものになりなさいっ。(中略)

――あなたはもう、旦那の形をしなくていいから、好きな形になりなさいっ。

 と言って、「私」は旦那を山芍薬へ変える。

 ここに、私は上述の錯覚を見る。引用部は一見、解放の言葉に思えるが、どうにか持ちこたえてきたものの最後の一押しを果たしてしまったのではないか。「私」の語りによれば、旦那は「誘惑」に耐えていたはずである。そのためにゲームや揚げ物に没頭し、旦那の形を保とうと努力していた。「私」の言葉は旦那のそういった努力を無に帰すものであり、また、互いの存在がそっくりになっていく状況の対処法を、「私」はアライ主人に教わり知っていたはずだ。それをしなかったのは何故だろう。そして、「なりなさいっ。」と命令したのは何故か。

 私にはやはり、自分が変わることを固辞し、けれど良くなりたいという欲望があるように思う。「私」は旦那と同じ存在になることを否定しつつ、旦那の努力を認めようとしない。

 あるいは、この考えはうがった見方かもしれない。

 

 キタヱ・アライ夫妻の挿話が、これを考えるのに役に立つ。

 飼い猫のサンショの粗相に困ったキタヱ・アライ夫妻は、サンショを山へ捨てることを決意し、「私」に案内を頼む。山へたどり着いたものの、キタヱはサンショを手放すことができない。それをアライ主人はどうにか説得し、サンショを岩清水のそばへ離す。

 私はアライ主人の行動を「適切な処置」であると感じる。キタヱはサンショを大切に思っているが、同時に粗相に困ってもいて、その間で苦しんでいる。愛情が深いゆえに傷も深く、解消する手立てはキタヱとサンショを切り離して、別々の場所に置くほかない。切除は痛みを伴うが治療に欠かせない要素でもある。痛みのない切除は存在しえず、病理を放置すれば、毒は全身へ回る。

 

 作中には、この結婚を異類婚姻譚にしないための方策がいくつか書かれている。けれど、そうはならなかった。「私」は旦那を「可愛らしくけなげな白花」に変えてしまう。旦那の隣に竜胆を植えたもの「私」である。旦那と竜胆がそっくりになったことに気付き、視線を逸らす「私」は結局、何も変わっていない。