感想日記 夜明けの青

主に小説・アニメ・マンガの感想、日記、雑感 誰かの役には立ちません @madderred100

感想「英国メイド マーガレットの回想」ダウントンアビーの予習として

 

英国メイド マーガレットの回想

英国メイド マーガレットの回想

 

 原題は「Below Stairs」意味は階下の住人で、主に使用人たちのことを指すらしい。けれど、メインとなるのは使用人たちというより、キッチンメイドであり、コックであったマーガレットから見た、階上・階下を含めた中流階級以上の家の中の話。

 

 ダウントンアビーを今第三シーズンの中ほどまで見ていて、面白いなと思う反面、ここはどうなっているんだ、と分からないことばかり。

 

 で、この本について。

 書かれているのは階上と階下の住人たちの話ではあるけれど、そこにあるのは自分にとって幸福とは何か、ではないかな、と。

 本書の中には、妊娠してしまったメイドや、好きでもない相手と結婚してしまった令嬢、称号ばかりあって、その実貧乏な貴族など、身分を問わず、さまざまな悲劇、喜劇がマーガレットを通じて、語られる。

 印象的なのは、ダウントンアビーを彷彿とさせる、とても温かな貴族の家の話で、使用人の誰もが彼らに仕えるのを喜び、やめたがらない。階上と階下の人間を分けることのない、理想的な家が登場する一方、満足な仕事を得るため、満足な待遇を与えるという、至極、現実主義の奥様が使用人をまとめている家も話に上がり、著者にその意図はないのかもしれないけれど、とても対照的な感じを受けた。

 

 思うに、結局、そこにあるのは相手を一人の人間として認めるのかどうか、という意識に他ならないと思う。1920代年のあの頃、人間の適用範囲というのは今よりもっと狭かったと思う。肌の色、信じる宗教、産まれた家など、身分が低いとされた属性については、あの人たちは下賤であるから人として扱わなくてもかまわない、という暗黙の常識がまかり通っていた。

 そういった偏見はいつの時代も変わらずあり、永遠になくならないと思うが、幸福を手に入れられるのは、人間として存在できる人物だけなのじゃないかと思う。

 

 最期に、マーガレットのそういった意識について。印象的なエピソードを。

 彼女がビショップ氏の家でコックをしていた時、ビショップ氏は特別な性的嗜好を持っていた。それは女性がカーラーを巻いている姿を眺めることで、就寝前にメイドを呼び出しては、カーラーを眺め、時にカーラーを触りたがった。

 マーガレットはビショップ氏の嗜好に付き合うことはなく、その話を別のメイドから聞いただけだったが、その行為の代償として、わずかな報酬(肌着やチョコレート)をもらうことに反発する。

 あるメイドは

「カーラーを触らせるくらい、何ともない。それでものがもらえるのなら、お得じゃない。私たちはどうせ、使用人なんだから」

 マーガレットはその「どうせ使用人なんだから」という部分に強い反発を感じた。

 

 このエピソードに全てが詰まっているように感じる。マーガレットは自分を何かの枠に押し込めてしまうことに違和感を覚えたのではないか。自分は自分でしかない、そうやって使用人の仕事を勤めるべきだし、そうでないのなら、満足のいく仕事はできないと考えたのだ、とぼくは思う。

 自らが使用人や下層階級の出身である前に、まず自分自身であること。それをはき違えると、使用人以上の人物にはなれず、いつまでたっても精神的な下層階級からは抜け出せない。

 

初夏の風の吹く五月