感想日記 夜明けの青

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感想「フェリシーと夢のトゥシューズ」人生を乗り換えることの意味とは

 

 特に長い記事になる予定はないです。

最近、記事更新を怠っていたので、そのリハビリを兼ねて。

 

 舞台はエッフェル塔がちょうど建築されている頃、十九世紀後半のパリ。ダンサーを夢見る少女フェリシーが、ブルターニュ地方の孤児院を親友のヴィクターと脱走する所から物語は始まります。

 

 憧れのオペラ座に辿り着いたフェリシーでしたが、泥棒と勘違いされ、あやうく警察を呼ばれるところへ、掃除係のオデットに助けられます。そのまま、彼女の後を追い、仕事を手伝うことで、どうにか家に泊めてもらうことになったフェリシー。

 ふと、音楽につられて、覗き込んだ部屋で、オデットの雇い主の娘、カミーユがバレエを踊っているのを見てしまいます。踊りに見とれている内に、覗きがバレ、フェリシーが大切にしていたオルゴールを、カミーユに壊されてしまいました。

 

 という序盤の展開のあとに、今回、気にしたい場面があります。

 

 オルゴールを壊されたフェリシーは、カミーユの元に届けられたオペラ座の入学届を横取りし、ダンスレッスンに向かってしまうのです。物語は、上映時間の短さや、恐らくは対象年齢の低さのために、この大事なシーンの罪の部分をあまり描くことなく、終わってしまいました。

 

 では、罪とは何か。ここでは、オルゴールを壊されたから、入学届を盗んだ、という一応の言い訳があり、映画を見ている分には、さほど気にならないのですが、これ、人生を乗り換えている、と見て良いんではないでしょうか。

 

 他人の人生に乗り換えるというと自分は、グレートギャッツビーやレミゼラブルが思い浮かびます。他には輪るピングドラムと、これは伝聞ですが、異世界転生ものでしょうか。

 

 それで、人生を乗り換えることの罪ですが、これは環境的な負債を、他人に押し付けることになる、という点。主人公が自らの実力を発揮するために、環境的な差別を取り払うこと。物語上、この負債は必ず、主人公に降り注ぐ(ギャッツビーなら孤独として、レミゼラブルはジャンバルジャンを追う警察など)のですが、これは倫理的に許されない行為だからだと考えます。他人の幸福をかすめ取ることで、自分が成り上がっていく。

 

 じゃあ、物語的に罪をどう贖っていけばいいのか。

 連想するのは、シュトヘルの十四巻、大ハンがユルールに告げる「死んだ人間がかけがえのない人間と知るならば、お前は死ねない」(引用正確ではありません)という言葉が、的を射ているのかな、と。

 

 つまり、自分のために犠牲にした命に対し、自らの命を差し出すことはできない。では、どうするのか、というと結局、自分の目的を遂行するしか、道は残されていないのじゃないかな。

 

 あー、支離滅裂なので、ここらへんで止めにします。

 

 十月最後の日