感想日記 夜明けの青

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感想「少女歌劇 レヴュースタァライト」少女を苦しめるもの、舞台少女の罪とは何か

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX1

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――スタァライト

それは、星の光に導かれる女神たちの物語。

ぶつかり、いさかい、すれちがいながらも、結ばれていく絆。

だけど、引き離され、二度と会えなくなってしまう、かなしい物語。

その八人の物語は、どうしようもなく、わたしたちを虜にする。

その八人の歌は、どうしようもなく、わたしたちを駆り立てる。

舞台のきらめきに魅せられた少女たち。彼女たちは、全てを犠牲にし、舞台を目指す。恋も、青春も、友情も、何もかもを対価にする。ただ、舞台へ立つために。

愛城華恋は舞台に憧れる女の子。名門聖翔音楽学園に通う、高校二年生。彼女は忘れていた。幼いころの約束を、あの日憧れたあの気持ちを。

「舞台少女、愛城華恋は日々進化中!」

けれど、本当は……?

神楽ひかりは裏切られた。舞台の求めるきらめきを満たせなかった自分の才能に。後悔を断ち切るように、過去を振り払うように、そして、自らの原点へ逃げかえるようにして、聖翔音楽学園へ転入する。新たなレヴューを求めて。

それぞれに夢や挫折を抱えた九人の少女たちは、運命に導かれるように舞台に立つ。時に敗れ、時に勝利を掴み取り、その高き頂を目指す。

 

えぇと、茶番はもう止めにしますね?

さて、レヴュースタァライト喝采のレヴューです。ジョークです。今作品、舞台との二層展開とのことですが、ぼくは舞台は見ていない、アニメ初見組(そんなのあるのか?)です。第一話を見た時の衝撃から、絶対ブログの記事にしよう、とか思って、いろいろ考えながら見ていたんですが、とっても面白かったですね。と、そんなことしか本来的には言えないのですが、やっぱり気になったのは第一話ですね。ここで示された色々とその後の展開、そしてぼくが見たこの世界の辛さが、噛み合わなかったなあと思っています。ちょっと不満げな口振りなのは、こうなるだろう、と予想したものが外れただけなので気にしないでください。

 

キリンのオーディションと、世界の残酷さ

わかります、というセリフが印象的なキリン。一方で、ぼくが気になったのは、奪い合いましょう、という言葉と共に実施されるオーディションです。ぼくはレヴュースタァライトをアイドルものの流れとして見たのですが、この奪い合い、というのは従来のアイドルもので上手く隠蔽されてきたものです。付け加えるなら、受け手を苦しくさせないため、アイドルたちを絶望させない、また、足踏みさせないために、巧妙にないものとされてきたものです。それは何か。

この世界には敗者というものが存在するということです。

ぼくは演劇という設定を見た瞬間にぴんときました。ああ、この作品は夢に破れることを描くのだな、と。それはそれは残酷な世界を描いてみせてくれるんだ、と。しかし、実際は違いましたね。今回描かれたのは、ぼくが想像していたものよりも断然やさしいものでした。確かに敗北はある。けれど、もう一度立ち上がれる。アタシ再生産、という言葉が示すように、何度でも何度でも、舞台少女は舞台を目指すのです。

アイドルものはトップアイドルを目指す物語が強くあります。売れないアイドルが運命の出会いを果たし、とんとん拍子にシンデレラストーリーを駆け上がっていく。このフォーマットに乗っ取ったものは非常に多いのではないでしょうか。そして、その物語の陰には、当然、トップアイドルになれなかった物語というものがありました。ですが、彼女たちは例え一番にはなれなくても、こう言うのです。でもキラキラしてました、と。挫折や絶望はありますが、一度でもステージに立ったアイドルたちは、笑顔になっているファンを見て、自分たちがトップアイドルを目指した時間は決して無駄ではなかったと知ることが出来たのです。

一方で、レヴュースタァライトです。確かに彼女たち、舞台少女は舞台を目指し、特訓の日々。それは楽しい楽しい青春ですが、どうでしょう。役がもらえないのなら、彼女たちは舞台には立てません。あのきらめきを遠くから眺めていることしかできない。たった一度でも舞台に立つことが出来るなら、練習の日々は無駄ではなかったと言えるでしょうが、しかし、そのたった一度すらなかったのなら?

九人の中の、いちばんの努力家である星見純那は、才能がないのなら、努力するしかないじゃない、といった趣旨の発言をします。そして、オーディションに選ばれたのはきっと彼女が惜しみなく努力をしたからでしょう。それは事実だと思います。けれど、彼女の何倍も努力して、それでも舞台に立てない、オーディションにも選ばれない子がいたのなら、純那は何と声を掛けるのでしょうか。

 

舞台少女の罪

ですが、レヴュースタァライトは九人の少女たちの物語です。だからこそ、星へ手を伸ばす彼女たちに罪が問われます。舞台少女の足元には、幾多の力尽きた舞台少女の屍が横たわっていることでしょう。ひかりが十一話でそれぞれのきらめきを奪わなかった理由も同じところにあると思います。きらめきを奪えない、それはつまり、他人を蹴落とせない、ということです。競争は世界を覆う真理の一つです。それに参加できないと表明することは、この世界で生きることを諦めるのと同義です。そのため、ひかりは塔に囚われ、永遠に舞台を繰り返すことになりました。

ひかりは敗者の魂を抱えると同時に、勝者の業もまた引き受けました。彼女は勝ちも負けもなく、ただ舞台少女のために自らを犠牲にしたのです。では、勝者の業とは何か。それはいつまでも渇くことのない舞台への渇望です。彼女たちは舞台に立つことを夢見て、練習を続けます。いつまでもいつまでも、終わることなく繰り返される、絶望の輪舞です。まして、足元の敗れ去った舞台少女を意識するものほど、立ち止まることは出来ません。それを体現するのが天堂真矢。追われるものの宿命を背負い、それでもなお前へと進み続ける者。また、その渇望こそが世界に敗者を生み出す原因でもあるのです。だからこそ、奪われたきらめきは残酷でありながら、ひどくやさしく舞台少女を包みます。

 

渇望への一つの救済の形

イギリスできらめきを奪われたひかりは、舞台に対する何もかもを失います。喜び、悲しみ、昂ぶり、その全てを。これは、ぼくには一つの救済に思えます。舞台に憧れ続ける彼女たちを救う方法、それは舞台への憧れをなくすことです。確かに残酷なことではありますが、呪いにも似た憧れを忘れた分だけ、他の幸せを探すことが出来るのも、事実の一側面だと思うのです。

けれど、彼女は舞台を目指します。それが舞台少女なのでしょう。ただ、以前と違うのはその心に大きな穴があるということです。その穴を、虚無を、深淵をどう埋めるのか、それは十二話で華恋が言った通りです。

「アタシ再生産」

舞台少女は、そしてぼくたちはいつでも歩き出せるのです。

 

気障ったらしくなったなと赤面する深夜二時