感想日記 夜明けの青

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感想「私のなかの「ユダヤ人」」ユダヤ人とは何か、差別を受ける人々の問い

 

私のなかの「ユダヤ人」

私のなかの「ユダヤ人」

 

 

ユダヤ人とは、ユダヤ人の母から生まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じていない者」という定義は、イスラエルの帰還法に定められたものである。外から見ているぼくからすれば、これほど分かりやすい定義というものはない。けれど、この本を読み進めていくうちに、この定義がどんどんと揺らいでいく。

この本の著者ルティ・ジョスコヴィッチは、ユダヤ系フランス人であり、本の始めに日本へ帰化しようとして、拒絶される。そのことから、彼女のルーツを巡る旅が始まる訳だが、その旅にはどこまでも「ユダヤ人とは何か」という問いが付きまとう。正直に言えば、こういったアイデンティティ不安というのは、日本人にはまったく遠い話のように思える。特に単一民族の日本という島国において、自分はナニジンだろうか、などという疑問が浮かぶ機会は皆無に等しい。ぼくらは周りと同じように生活しようと心がければ、いつでも日本人として受け入れてもらうことが可能で、また日本人とは何か、という問題の設定そのものが困難なのだ。時に、近隣諸国の反日運動に、日本人としての自覚を強く持つことはあっても、それがどこから来て、どこへ向かうのかと問われれば、多くの日本人は答えることが出来ないだろう。 

ネットと愛国 (講談社+α文庫)

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しかし、それはユダヤ人も同じなのだ。ルティはユダヤポーランド人の両親を持ち、イスラエルで産まれた。彼女は帰化問題を端緒に、両親の歴史を追い、世界が経験した第二次世界大戦から続くイスラエル建国の歴史へ近付いていく。そして、それはまったく形を変えずに続く、差別そのものでもあった。

 

イスラエル建国の歴史について、ぼくが知っているのは差別されていたユダヤ人のための国家ということや、連合王国の三枚舌外交、といった事柄だけれど、まったく視野から抜け落ちていたものがあった。それは、現在のイスラエルから追い出されたパレスチナ人たちのことだ。どうしてそのことに思い至らなかったのだろうと不思議で仕方がない。当然、ユダヤ人が入植すれば、先住している民族との領土問題になる。それは、子供の頃、ぼんやりと眺めていたテレビ画面に何度も映し出されていたはずだった。そして、何より衝撃だったのはシオニズムという思想を持ったユダヤ人の差別意識だ。彼らはアラブ人とは野蛮で知性の乏しい非文明人だ、とまで言ってのける。ホロコーストを経験し、差別と闘ってきた彼らが到達したのが、中東の端のそんな狭い世界だった。

著者のルティはイスラエルでの経験によって、シオニズムから脱出していく。イスラエル政府によって砲撃、破壊された村を訪ね、果てにはイスラエル軍国主義下の植民地だ、とさえ言う。彼女はその過程を嫌悪し、また責任を感じ、それを引き受けようと、また逃れようとする。その運動の内の一つが、自分のルーツをたどることだった。

 

ユダヤ人が自らをユダヤ人だと思うのに、典型というものがあるとすれば、それはきっと「反ユダヤ主義が、私をユダヤ人にする」という考えだと思う。ルティはルーツを探る際、知る限りのユダヤ人に手紙を送った。本の終わりにはその返答が紹介されるのだが、宗教的・政治的な個別の返答が返される中、どの手紙にも上記と同様のことが書いてある。そして、この本の回答として、ルティは自分がユダヤ人であることを掴み取る。彼女はユダヤ人の差別の歴史と自分との繋がりを意識し、受け入れるが、それでも差別がユダヤ人という民族性の問題であることを否定する。

言い換えれば、ユダヤ人差別という個々人の問題を、ナチスドイツ・西欧社会の問題として、イスラエル建国などというマクロでの解決には接続しない、ということだと思う。やはりこれはユダヤ人が言うからこそ、説得力を持つのであって、日本人のブログに書いてあったとしても、あまり理解はされないと思う。差別とは個人の問題であって、国家を作ることで解決するのか、今まで差別されてきたのだから、これからは優遇されるべきだ、とでも言うのか。露悪的で恣意的な(つまりはアホな)文章になってしまったが、それでもぼくは、それらのことが差別問題を解決するとは思わない。しかし、ルティが見ているイスラエルという国は、こういった国家らしい。

 

ユダヤ人とは何か」また「自分とは何者か」という問いは、恐らく自らのアイデンティティを脅かされた人が持つものだと思う。それはつまり被差別やいじめ、自分という存在を否定されて、初めて見える自らの拠り所であり、時に自分はとある共同体の一員であるという意識が人を救い、また時に、さらなる差別意識を生み出す元でもあるだろう。

 

何だかもう少し語りようがあったと思うし、語りたいと思っていたことともずれてしまった。けれどまあ、とにかく投稿します。

自分の小ささが身に染みる五月の夜