感想日記 夜明けの青

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感想「教授のおかしな妄想殺人」私の人生のため、死んでもらっていいですか?

 

教授のおかしな妄想殺人 [DVD]

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 エマストーン、かわいい!

 「教授のおかしな妄想殺人」とてもストレートな作品で、とても興味深く見ました。というのも、この作品が扱っているテーマが、ぼくにとって非常にクリティカルだったからです。

 では、そのテーマとは何か。

 二つほど、過去記事を書いているのですが、そこで扱ったのは、自分の人生のために人の命を奪うのはありかなしか、ということでした。もう少し敷衍して言うと、自らの幸福を追求すると他人を不幸にしてしまうことは許されるのか、ということでした。そして、そのテーマを究極まで突き詰めると、殺人行為が人生において至上の喜びである人は幸せになっていいのか、ということになります。

 

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 主人公であるエイブは、人生に意味を見出せず、いつ死んでもいいと考えるような哲学科の教授です。若い頃は世界をより良くするために、紛争地や貧しい地域にボランティアに向かうなどしていましたが、今では、個人のちっぽけな力では何も変えることは出来ないという諦観と共に、日々を絶望して暮らしています。

 そんな中、エマストーン演じる、教え子のジルとレストランで盗み聞きした、悪徳判事の噂から、ある着想を得ることで、人生の意味を見つけることになります。

 そう、その着想こそが、判事の殺害計画だったのです。

 

 以前も書きましたが、ぼくは殺人によって、ある人物が人生に意味を見出すことが出来るなら、それは仕方のないこと、容認されるべきだという思想でいます。が、それと同時に、そのような価値観を社会が認める訳はないので、そのような人は、法や裁判、あるいは私刑によって、社会に抹殺されるだろうとも考えます。

 映画を見ていて、一つ新しい発見があったのですが、映画の中でジルがエイブに向かって、「一人殺せば、次もまた殺してしまう」と言うシーンがあります。ああ、なるほど、と思ったのはこの点で、だからこのような思想は抑止されるし、されなければいけないんだなと実感しました。ぼくの中では前提として、殺人に人生の意義を見出した人間は、人生に生きる感触を得るために何人も殺すだろうと、まったく問題にしていなかったので、こういう思想に踏み込まない、抑止の論理として、非常に腑に落ちるものがありました。

 そのような意味で、この映画は非常にストレートに、人生の意味における殺人を描いているなと思います。例えば、エイブは自らを実存主義者といいます。これは人生は何のためにあるのかを自分で決めるという思想(ですよね?)で、彼は判事を殺すことによって社会を良くしていく、そのために殺人が必要なのだ、と考え、それを実行することが自らの役割であると自己規定します。もう、正しくぼくの考えているテーマにぴったりです。というか、ぼくも実存主義を聞きかじって、上のように考えているんですが……。

 

 けれど、一方で、教え子のジルはもっと一般的な考え方をしていて、エイブの殺人計画を知った後、彼に自首を求めます。ぼくは、ここがやはりこのテーマのネックだと思っていて、ジルの訴えは、そのまま社会の要請でもある訳です。殺人を正当化することの出来ない社会が、則を越えたエイブを圧迫していく。そして、クライマックスでエイブは死ぬことになるのですが、これはぼくの考えるテーマを真正面から受け止めた際の、真っ当な結論だと理解します。

 先にも書いたように、人の命を奪うことに頓着のない、つまり「私や私の大切な人が殺されるのは許せないが、どうしてそれが他人にも同じように適用されるのか分からない」という相互性の原理を無視した人間を、社会の中には組み込めないからです。社会に参加する、組み込まれるということは、社会に参加する全員で決めたルールに従うこと、それらを受け入れることですから、それに従わないというのは、自然、社会から弾き出される訳です。

 これをフィクションで表現するとなると、殺人に人生の幸福を見出す人間は、死を迎えるほかないのです。なぜならば、殺人は許される行為ではないから。

 ぼくはこのパラドックスについて、考えたいのです。自分の権利を行使した瞬間に、他人の権利を侵害してしまうこと。他人の命を奪う代わりに、自らもまた死ななければならないという結末以外のものが見たい。

 

 「教授のおかしな妄想殺人」は、まさにこのテーマのド直球でした。短い時間の中で、これ以上削るべきところはなく、また付け足すこともない。また、それ故にこのテーマのどんづまりまで来てしまっている。

 ここから先を描くには、恐らくコロンブスの卵的な発想が必要なんでしょうね。

 

 今回はぼくのテーマに引き付けて考えましたけど、女性陣の描き方がすごくいいなと思いました。というのもエイブはジルの他に、もう一人リタという女性と関係を持つのですが、そのジルとリタの二人が、非常にフラットな関係で話をしている姿が何だか奇妙で、ユーモラスなんです。ウディ・アレン監督は他に「ミッドナイトインパリ」が好きなんですが、これも浮気の話を扱っていたなとか、思いました。

 

十一月の雨の夜