感想日記 夜明けの青

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ネタバレ感想(自分語り)「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

 注意。エヴァそのものの感想というより、自分語りになってます。

 

 かつて、ぼくは不登校で、引きこもりで、ニートだった。何となく自分を殺したいと思っていて、何となくまだ生きていたいと思っていた。自分を殺す具体的な方法は思いつかず、自罰的に、消極的に、何もしないということを選び、けれど生きるということの輝かしさに憧れ、どこかに希望はないかと絶えず、辺りを見回していた。あの時のぼくは、誰かにその二つのうちのどちらかを選んでもらいたかった。ぼくを殺してくれる人か、ぼくを愛してくれる人を望んだ。

 だが、当然、そんな人はぼくの前には現れなかった。ぼくの周りにいたのは、立ち直るよう発破をかける人、やさしく現状を受け入れて声をかけてくれる人、そっと遠くから見守ってくれる人などだった。ぼくの周りにいた人、いてくれた人にも、ぼくとはまったく関係のない人生がある。そこから届く言葉は、ぼくの重力圏の外側からやってきていて、当時のぼくはそれをとても煩わしいと、鬱陶しいと思った。誰も、重力圏の内側に飛び込んできてはくれない。

 

 シンエヴァの第三村の描写を見て、約7年前の自分がそんなことを思っていたのを思い出した。シンジくんが鬱状態に入り、ただ部屋の片隅でうずくまることしかできない姿や、一人あてもなく家を出て、誰もいない廃墟でぼんやりと景色を眺めている様は、あの頃の自分と重なって見えた。

 正直、キャラクターに感情移入しながら映画を見たのは、久しぶりだった。あの頃、ぼくはそういう映画の見方しかしていなかったのに。週に一度、たしか月曜日の深夜だったと思う。日テレが映画天国という枠で、夜中に映画を流していた。鬱に近い状態だったのに、ぼくは毎週、映画を見るのが楽しみだった。楽しみだと思うことすら、引きこもりの自分との齟齬で苦しかったのだけど(引きこもりであるのなら、楽しいことやうれしいことがあってはならない、してはならないと本当に考えていた)。

 その時に見た映画で忘れられないものがある「マイブラザー」という映画だ。トビーマグワイア演じる帰還兵の、アメリカ帰国後の葛藤を描いた作品だった。そのクライマックスで、彼は自らの恋人や弟に拳銃を向け、自らの心情を吐露する。そして、自分のこめかみに銃を突きつけた。

 ぼくは、彼に感情移入していた。撃て、と思った。撃って、死んで、楽になってしまえと。けれど、もう一方で撃つな、とも思った。撃ってはいけない。死んだら、ぜんぶなくなるから。

 当時、映画をたのしみにしていたのには理由がある。ぼくは小説家になるのが夢だった。だから、よい小説を書くために映画を見て、勉強するのだ。引きこもりで小説も書いていないくせに、そう思っていた。生きることと死ぬことの板挟みだった。違う方向へ働く二つの力が、陳腐だけれど、ぼくを引き裂いていた。

 

 だから、シンジくんが泣きながらレーションを食べるシーンを見て、目頭が熱くなった。死にたいと思いながら口に運んだ食事を、おいしいと思ってしまったことがある。ぼくは死にたかった。だけど、それはおいしかったのだ。それは単なる食事であったけれど、世界の美しさの一端だと思った。世界を美しいと思わないのなら、君がまだそれに出会っていないからだ。いつか読んだ本の文句が反響していた。

 

 

 

 もし観客がシンエヴァを観て、さよならを言うのであれば、ぼくにとってそれは、シンジくんが立ち直ったときだった。「あの頃のぼくら」はもういない。現状、書かれている感想の多くが、そこに焦点を当てている。

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 ぼくも映画を鑑賞して、そのことを感じ取った。震災を乗り越え、コロナ禍を生き、それすら以後になっていくだろう。時は流れ、否応もなく変わっていく。完結までに要した長い時間が、それをより際立たせたように思う。

 

 ぼくにとって、大人になってしまったシンジくんやアスカや、ミサトさんはまだ遠い。細くはなってしまったけれど、あの頃のぼくと、今のぼくはまだ繋がっていると感じるからだ。忘れてしまっていたことに罪悪感を感じたし、あの頃のぼくが向こうの方で、このくるしみを忘れられると思っているのか、と叫んでいるのを感じる。だけど、その叫びはそれほど痛切ではない。だから、多くのすっきりとした表情で劇場を後にした人たちと同様に、ぼくもこの地点からやがては遠ざかっていくのだろう。

 この記事は、そのことを書きたかっただけの記事だ。だから、もう一度言う。「あの頃のぼくら」はもういない。そのことを肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるかは、その人次第になるだろう。とにかく、エヴァは終劇を迎えた。言葉にすれば、ただそれだけのことだ。

 

 

 

 余談。今回、レイトショーでエヴァを観たので、家に帰った頃には十二時近くなっていた。食事もほどほどに劇場に入ったので、帰りにスーパーへ寄って、うどんを買ってきて、茹でて食べた。

 引きこもり時代は、素うどんが一番のご馳走だった。憂鬱と空腹でいつも痛んでいた胃に、少し熱めのうどんがするりと流れ込んでいく感覚が好きだったのだ。ほとんど飲み込むようにして、うどんを食べ、どんぶりの熱を手のひらに感じながら、あたたかいお出汁をちびちびと飲み下す。ただ、それだけのことに幸福を感じられた。そして、その幸福は決して痛みにはならなかった。

 いまのぼくは、うどんに細ネギとお揚げを載せる。向こうの方で、あの頃のぼくが、それは野暮だよ、と言ってくれたらいいと思っている。