感想日記 夜明けの青

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感想「モリーズ・ゲーム」父性の犠牲

 

モリーズ・ゲーム(吹替版)

モリーズ・ゲーム(吹替版)

  • 発売日: 2018/10/05
  • メディア: Prime Video
 

  「シカゴ7裁判」からアーロン・ソーキン監督を知ったので、作品を追ってみることにしました。

 

 かつてオリンピックを目指していたスキープレイヤーのモリーは、北米大会の敗退をきっかけにスキーを引退。実家から離れ、ロースクールへ入学する資金を稼いでいると、ひょんなことからポーカーの運営に携わることになる。胴元として大成功を収めるのだが、やがて運営は違法なものへと変わり、ロシアンマフィアとの繋がりから、とある裁判にかけられることになる。

 

 というのが、だいたいのあらすじ。現在から、過去に戻って時系列を往復するという形式が、アーロン・ソーキン監督のお得意の手法らしい。シカゴ7裁判でも同様で、またこれは別の監督作だけれど、ネットフリックスの「Mank」もまったく同じ形式。三つほど続けて見たので、ちょっと気になっています。

 

 この形式の面白い所は、過去と現在を往復することで、主人公の違った一面を交互に見せられることですね。今作に関して言えば、なぜモリーが顧客の情報を売らないのか、という問題。映画が始まってすぐの時点では、それ自体がマフィアとの深いつながりを持っていることへの疑惑、妖しさとして表現されていますが、ポーカーの運営をしているモリーを見ている内に、なるほどこれはモリーの持ち前の性格なのだ、ということが分かってくる。そして、そこに関係してくるのが、モリーと父親との確執。他人の秘密に対して、どうしてモリーはあれほどに慎重なのか。クライマックスには父との対話で、そのわだかまりが解放されるのですが、注目したいのが、モリーが父性に包まれることによって、それを克服する点です。

 

 裁判の行なわれるニューヨークまでモリーに会いに来た父と、モリースケートリンクで出会い、心理学者の父は、モリーにはセラピーが必要だと言って、三つの質問を交わします。

 そのなかで印象的なのは、モリーが強い男を支配することに依存している、と一番目の質問で答えるのに、三番目の質問で、それを覆す点です。面白いのは、そのどちらもが父から与えられた答えだということ。モリー自身、法律家を目指していたはずが、その正反対であるポーカーの胴元になってしまったことに疑問を持っていました。お金が必要だった、スリルを楽しんでいた、豪華な生活が手放せなかった、勝負への執着が強かった、など様々な理由を思い浮かべることができますが、それは物語として弱い。

 人間は心理的な動き、欲求を真実だと思いたがるものです。だから、モリーの父は、それを理由づけるために、自らの存在をモリーのために差し出さなければいけなかった。そして、自らそれを否定することで、モリーを解放した。父親は供儀としての役割を果たしたのが、とても興味深かった。

 

暖冬の去年がなつかしい十二月