感想日記 夜明けの青

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感想「タッカーとデイル」「キャビン」ホラー映画のベタとメタ

 

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どうした因果か、この二つを続けて見たので、感想。同じテーマという訳ではないですが、二つともホラー映画をメタ視点で見る、という点で共通しているのかな、と思ったので、書いてみます。

 

まず、あらすじを。

「タッカーとデイル」は、不運に見舞われた田舎の男性二人の話です。ぼろい山荘を買ったタッカーとデイルは、同じ山に来ていた女子大学生を救ったことから、大学生グループにシリアルキラーと間違えられ、問題に巻き込まれていきます。女子学生を救うために、タッカーとデイルに特攻する学生たち、事件の解決のためにやってきた保安官は些細な事故で死亡し、その果てには学生との最終対決。

全編を通して、コメディタッチで描かれる作品ですが、よくよく考えると、こんなに簡単に人が死んでいいのかと思うくらい、人が死んでいく映画です。一つ一つピックアップしてみると、一番初めに串刺しになる学生や、ウッドチッパーに飛び込む学生など、死に方はかなりえぐいし、実際に体験したら、トラウマだろうなと思いますが、とても面白くて、笑えてしまう。

それがなぜ笑えるかといえば、ホラー映画あるあるのような文脈を通して、「タッカーとデイル」という映画を見るから、なのだろうなとぼくは思います。作品の面白さは、ボタンの掛け違いによって起きるハプニング、という側面もありますが、何よりも、ホラー映画の様式をしっかりとなぞりつつ、それに新しい意味付け(コメディとして処理)をしていく様は、痛快でユーモアにあふれています。

今まで見てきた、または何となく見たことがあるような(先の予測ができる)展開を上手く使って、見たこともないような映像になっている、といったら陳腐かもしれませんが、この映画はとにかくそういう手法によって作られています。

 

一方、「キャビン」もまたホラー映画のメタ視点を、作品の中に織り込んでいると言えると思います。

「キャビン」は、五人の大学生がいとこの山荘へ行くという、これまたありがちな導入から始まり、それを監視する司令部の様子が、たびたび挿入されます。学生たちはどうなっていくのか、司令部はそれにどのような関係があるのか、そしてどんな目的があるのか、というのが、この作品の見どころになっているのですが、全体的にメタ視点を織り込んでいる、というその試みが上手く機能していない、という印象を受けます。そう言った意味では「タッカーとデイル」の方が上手い。

それはどういう意味か、というと、学生たちがどうなるのか、というサスペンスが、司令部の目的、存在意義というサスペンスに陳腐化されてしまうのです。つまり、得体のしれない怪物に襲われる学生たちと、それを監視する司令部という構図が、まさに映画と視聴者という構図を現していますが、それを映画内に組み込むことによって、ホラー映画そのものが遠ざかってしまう。メタ視点を導入したことで、冷めて見えてしまう訳ですね。

なので、最初の一時間は司令部のサスペンスに頼りきりで、学生たちの動向というものがとても無駄なものに見えてしまう。先程の「タッカーとデイル」で言った、今まで見たものを、新しく見せるという意味では、まったく失敗です。そしてそれがなぜ失敗したか、それはメタ視点を映画の中に取り入れてしまったことが、原因だとぼくは思います。

・怪物に追われる学生たち/を眺める司令部/を見ている視聴者

という構図自体が、「キャビン」というホラー映画の面白さを損なってしまっている。

そして、「タッカーとデイル」の方が上手いといった、その意味は主観的な没入感を損なわずに、ホラー映画あるあるを通して生まれる面白さを、ぼくら視聴者に読み込ませることで、そのメタさを確保している点にあると思います。

 

この二つの作品が、ベタを使って、メタを表現する作品と考えると、「キャビン」ではベタ/メタ、と対立的に表現しましたが、「タッカーとデイル」では、ベタをベタとして描きつつも、そこにベタを見るぼくらというメタが表現されています。言い換えると、客観のメタと主観のメタということになるのかもしれませんが、ぼくにはまだ分かりません。とはいえ、この両作品を続けて見れたのは、かなり幸運だったと思うので、ちょっとメタフィクションについて勉強してみようと思います。

 

涼風の吹く七月の夕方