感想日記 夜明けの青

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感想「日本のいちばん長い日」監督 岡本喜八 狂気の差し示す皮肉 

 

  二週間ほど前に見たものを思い出して書くので、だいぶぼんやりしてます。

 

 ほんの数年前にリメイクされた、半藤一利さん原作の、玉音放送を巡る終戦前夜のお話。

 簡単に説明すると、広島長崎への原爆投下、ポツダム宣言受諾の是非を背景に、揺れ動く首脳部と、敗戦を認めようとしない青年将校の純情(あるいは狂気)を描いた作品。

 

 ぼくは書籍とリメイク版を見たあとに、今作を見たのですが、まあこの順番で作品を折ってきて良かったかな、と思います。書籍は全体像を把握するのに良く、映画初見では混乱もあり得たかな、と。リメイクを先に見たのも、これから書くことに関係していますけれど、阿南・昭和天皇鈴木貫太郎の三人の物語として、非常に感情移入しやすかったのが、今作とのいい対比になっていたな、と思います。というか、リメイクする以上、差別化は意識しますよね。

 

 と前置きが長くなりましたが、書きたいことはシンプルで、新旧を比較して、思ったことをつれづれと。

 

 まず、新バージョンでは、上に書いたように阿南・昭和天皇鈴木貫太郎の三人を中心に据えた、英明な君主たちの物語に焦点が当たっていました。特に阿南は、役所広司が演じたことで、三船敏郎の演じたものより、かなり柔らかい印象になっていました。その分、陸軍の将校からの突き上げに必死で耐えながら、終戦へ事を運ぼうとする、板挟みの大臣の姿が際立ち、共感を呼ぶ仕掛けになっていました。

 

 一方で、旧作の今回。リメイク版で描写されていた阿南の苦悩がない訳ではないですが、作品の構成上、比べるとかなり薄いと言わざるを得ない。というのも、映画の後半には、暴走する青年将校たちの姿が活写されるからです。

 というより、ぼくとしては、この畑中少尉たちの狂気こそ、この映画の本題なのかなと思うのです。もう少し冷静に見ると、大臣と青年将校を両配置した、構図そのものを描いているのでしょうけれど。

 

 今よりもっと戦争が身近で、誰もが戦争の実体験を持っていた頃、あの映画はどのように受け止められたのか、とぼくは気になります。というのも、既に太平洋戦争が終結し、その後の日本を生きてきたぼくらには、畑中少尉があれほどまでにこだわった理由は、理解できない気がするからです。

 リメイク版の、松坂桃李の演技も素晴らしかったと思っていますが、ぼくはどこか遠いものに感じてしまう。それは彼の演技が拙いから、という理由ではなくて、それを受け止めるぼくらの問題である気がするのです。どうあっても戦争継続を正しいものと思えないぼくらに、畑中少尉の心情を想像することなどできるでしょうか?

 

 最近、山本七平さんの本を読み、京アニの放火事件を見て、考えていることがあります。それは、人道的とは何か、です。七平さんは、人道的とは、凶行に走った人を道徳的に批判することではなく、凶行に至らしめてしまわないこと、そういった環境から救い出すことこそを示すのだと書いています。

 例えば、人肉を口にしなければ生き残れなかった人々を、現在の立場から批判するのではなく、人肉を食べなければ生き残れない所へ人を追い込まないことこそが大切なのだと。

 

 その点で言うと、リメイク版では聡明な政治家として描かれ、また、旧作では日本の未来を若者に託して去っていく、重臣たちはまったく人道的とは言い難いのではないか、とぼくは思います。

 もちろん、現代日本において批判される団塊の世代のように、全ての宿痾は老人たちにある、と言いたい訳ではありません。あくまでも、映画の解釈としての話です。そして、さらに付け加えるなら、社会が駄目になる時、老人だけでなく若者もまた愚かなのでしょう。

 

 閑話休題

 

 畑中少尉がどうして宮城を占拠しなければならなかったのか、ということは想像はできても、理解することはできません。ただ、彼らは間違いなく、当時の大人たちによって、そういった環境に押し込まれたのです。そして大人たちは、これからの未来は若者たちが作っていくのだ、と去っていく。

 これは、とてつもない皮肉だと思います。大人は若者に未来を託そうとする、けれど、若者は大人たちの教育によって、戦争継続を訴える。ある種のマッチポンプでしょう。

 

 畑中少尉の狂気は、彼だけが持ち得たものではなく、何かを信奉するもの、つまりそれは、ぼくら全員にあり得るものなのだと思います。

 

 余談ですが、大人の都合で、つらい環境に放り投げられたぼくら若者が、どのようにして生きるかというのは、何もぼくらに限った話ではなく、全時代の、ありとあらゆる若者たちに共通の問題なので、大人への恨み節を語ってばかりいても仕方がありません。

 ですので、若者としてぼくは、つらい環境でどう生き延びるか、と、つらい環境をどう改善していくのか、の二つの意識が重要だと思います。最近、参院選の報道を見ていると、若者は自己責任論を強く内面化している、という話を聞きますし、ぼく自身、何でもかんでも自罰的に受け止めてしまうので、環境の方を変えるという意識は、頭の片隅に置いておきたいですね。