感想日記 夜明けの青

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感想「永遠に12才!」 物語が動き出すとき

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 画像ないと、割と殺風景になっちゃうので。

 レジーのビジュアルがかわいいな、と思って見始めたアニメですが、内容が面白かったので、レヴュー的に書いていきます。

 

 最近、気付いたことですけど、ぼくは割に少年の心を持った女性に、惹かれるみたいです。Vtuberの神楽すずさんとか、富野節の動画が面白くて、つい何度も見返してたりするんですよね。ウクレレ動画の清楚な感じも好きなんですが、それ以上に、ウクレレに合わせて、くそでかサングラスをかけてくる辺りが、グッときます。

 今作の主人公のレジーも、そういったタイプの女の子です(すずすずも同じだという訳ではないです、念のため)。12歳の誕生日に、ママからブラジャーをプレゼントされてがっかりしたり、年頃の女の子みたいな、おしゃれにはまったくの無頓着。興味があることといえば、新作のヒーローフィギュアだったり、ゾンビ映画のコスプレなど、とにかく楽しそうでワクワクすることに、目がない。

 一方で、恋愛などの心の機微にはうとくて、親友のエスターとレジーのママとで行ったショッピングモールでは、上手く女子トークに乗れず、不機嫌になって、エンドレス島へ逃げ出したりしてしまいます(少年の心を持った女性が好きというより、わくわくが止められなくて、瞳をキラキラさせている子が好きなだけかもしれません)。

 

 彼女は周りの同年代の子どもに比べると、やや幼いと言わざるを得ません。やることなすこと、子どもっぽいと叱られることも多く、自分の思い通りにいかないと、機嫌が悪くなることも少なくありません。

 そんな彼女が現実からの逃避先として持っているのが、エンドレス島。レジーが学校で作ったトーテムである鍵をかざすと、その不思議な島に行くことができます。そこでは彼女は、力持ちのトゥエルブとして、島の奇妙な生物たちに慕われているのです。

 

 ここまで語って、分かった人もいると思いますが、この物語は、子どもの持つ万能感についての物語です。一話ごとのストーリーのフォーマットは、現実での不満な出来事を、エンドレス島に持ち込み、解消するという形を取ります。

 自分の個性ゆえに現実と折り合いのつかない少女が、エンドレス島で癒され、現実へ帰るという、行きて帰る物語。

 上記したように、レジーは島ではトゥエルブと呼ばれ、島の住人に慕われています。さらには現実にはないスーパーパワーがあり、叱る大人のいない島ではやりたい放題。シーズンの前半では、万能感がこれでもか、と描写されます。といっても、レジーは幼い子どもではないので、その万能感は破れかかった麻布のようにぼろぼろで、至る所で現実を招き入れてしまいます。

 象徴的なのは、9話の「永遠につづく学校生活」で、つまらない現実の学校をやめ、エンドレス島で学校を始めよう、という計画から話は始まるのですが、先生役となったレジーと親友のトッド、エスターは先生の苦労を知り、改心するという結末になっています。

 エンドレス島にいるからといって、全てが思い通りになる訳ではないのです。

 

 シーズンが後半になるにつれて、レジーの折り合いのつかない現実は物語の前面に出て来るようになります。

 ぼくが好きなのは10話の「永遠のひみつ」と14話の「レジーパパはいつもそばに」です。レジーの心の弱い部分が二つの話の中心となっていて、彼女がただのガキ大将的な女の子ではないことが、よく分かります。これ以前のお話だと、傍若無人な振る舞いばかりが目立ちますが、彼女も周りを省みることができない訳じゃなく、むしろ、周りと違う自分への劣等感や恐怖から、エンドレス島に避難しているんだということが、物語に乗せて、とてもエモーショナルに描かれています。このエピソードのおかげで、レジーというキャラクターに、深みが増していて、好きです。

 

 そして、その方向性が行き着いたのが17・18話の「ずっとしめ出され」です。話自体は、エンドレス島へ向かうための鍵が壊れたことで、島に行けなくなったレジーの話と、レジーとトッドがエンドレス島へ始めて行った時のエピソードが語られるのですが、やはり注目したいのは、島へ行けなくなったレジーの周辺を描いた部分。

 島でのトゥエルブの衣装のベースとなる格好を、学校でお披露目した場面や、教室で一人、人形遊びをしているシーンなど、ぼっちとしては非常に心を抉られます。また、彼女の世界観を他人に受け入れてもらえないことが、エンドレス島を守りたいという気持ちに繋がっているのも、このエピソードで描かれます。

 もちろん、この話で無視できないのは、学校の裏手で映画を撮っていた少女、コネリー。彼女は、レジーの人形遊びを、よくできていると褒めるのですが、なぜかレジーはどぎまぎしてしまって、コネリーから逃げ出してしまう。これは、レジーにとってはかなり特別な行動です。コネリーに遭遇する直前のシーンでは、レジーは意地悪な男子生徒にからかわれ、「うらやましいんでしょ」と強気に返していますし、トッドと出会う場面では、自作のキャラクターを見ず知らずの他人に売り込んだりしています。

 

 これは、恐らくコネリーが女の子だということが関係しているのだ、とぼくは考えます。ぼくはレジーを少年の心を持った、と称してきましたが、実際、彼女が遊ぶのは男の子ばかりだったのではないでしょうか。トッドはもちろんのこと、うんと幼いときは兄と吸血鬼ごっこをしていたり、男の子と遊んでいる場面が多いですし、ベビーシッターをしたときは、男の子が自分の遊びに乗ってきてくれないことに困惑したりしています。多分、レジーは自分が女の子っぽくないことに気付いており、そのことに心を痛めています。親から何度も叱られたり、学校の生徒から拒絶されたりしたこともあって、心のどこかでレジーは女の子っぽい振る舞いをしなければいけない、と考えている節があります。ベビーシッターの件でも、レジーには男の子はこうあるべき、という固定観念があるからこそ、いとこのオグデンが日本でいうところの教育テレビを大人しく見ていることに、理解が及ばないのでしょう。

 

 話は戻って、コネリーです。コネリーはレジーに共感を示す、初めての同性です。彼女に話しかけられる直前には、二人のことを知る先生から、お互いが似ていると聞かされているにもかかわらず、コネリーのことをうまく理解できないのは、レジー自身が自分と同じような感性の女の子などいないと思っているからでしょう。だからこそ、レジーはパニックになり、逃げだしてしまうのです。

 

 基本的に一話完結で、前後の話のつながりがほとんどない今作で、ぼくはこの2話が一番大好きです。それは上に書いた、レジーとコネリーの関係性がドストライクだから、というのもあるのですが、この二話で初めて、「永遠に12才!」の物語が動き出したと感じたからです。

 コネリーがレジーを映画の美術監督に誘うシーン。あれを見た瞬間、ぼくはレジーがハリウッドで美術製作をしている姿が思い浮かびました。それまで、エンドレス島から絶対に離れなかったレジーが、現実の世界に立脚する足場を見つけた、と感じたんです。

 

 大塚英二さんの著作に、アトムの命題という本があります。内容は、手塚治虫アメリカのカートゥーンと、ロシアのフォルマリズムを掛け合わせ、日本の漫画を作ったという論考なのですが、その中で、カートゥーンを説明する際、大塚さんは特徴として、死なない身体を上げていました。

 トムとジェリーを思い出してもらえれば分かると思いますが、彼らはどんなに高い所から落ちても、びたーんとなるだけで死ぬどころか、怪我もしません。ハンマーでたたかれても、びよよよーん、で済ませてしまいます。これがカートゥーンの死なない身体。そして、死なないということは変わらない、成長しないということも意味します。トムとジェリーは永遠に変わらない日常、追って追われてを繰り返しています。

 ここに漫画的記号としてのキャラクターの限界を、大塚さんは見る訳ですが、この視座から「永遠に12才!」を見る時、コネリーが見せた光景というものが、非常に力強い意味を持つことが分かります。

 

 レジーは変わることが大嫌いな12歳の女の子。誕生日にブラジャーを送られては、がっかりし、母親が必要だと思って見せた、保健(つまり身体が成長するとはどういうことか)の雑誌を、私は大人になんかならない、と言って捨ててしまうような少女でした。

 それが、コネリーが登場した途端、レジーの物語が動き出すのです。これまでエンドレス島で発揮されていた、行き場のないレジーのクリエイティビティが、ようやく現実で必要とされ始めたのです。これを見て、どうして興奮せずにいられるでしょうか。

 

 しかし、今作はそれ以上のコネリーとレジーの関係の掘り下げをせず、終わってしまいました。レジーは相変わらず、エンドレス島からは出て行かない、大人になったら、ずっとエンドレス島で暮らす、と言ってのける子どものまま。それでも、新しい仲間を受け入れる、という決断をするのですが……。

 

 

 とても素晴らしい作品でしたので、ここまで読んでくださった方でまだ見ていない人は、ぜひ見てください。一話も十分程度ですので、そこまで長くないです。

 コネリーとレジーをもっと見たいので、第二シーズンやってほしいです。

 終わり。

 

鈴虫の鳴く、八月の夜。