感想日記 夜明けの青

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「没後50年 藤田嗣治展 東京都美術館」一生涯を概観する作品群と、その要諦

藤田嗣治展、行ってきました。といっても、もう二週間ほど前のことになるのだけれど。そこで、六・七年かけておいかけて、ようやく藤田が何を描いていたのかが分かった気がするので、書いていきます。

ちなみに、確たる根拠のあるものでなく、自分がこう感じたという程度のものですので、読む方がもしいればの話ですが、ご了承ください。

 

まずは藤田嗣治の紹介から。Wikipediaからの引用になりますが

藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。

 明治19年生まれ、父親は鴎外森林太郎の後任をするほどの偉い軍人の家庭。一般の知名度は分かりませんが、海外で有名になった日本人画家の先駆ともいえる存在です。

 

まず、最初期の作品から。

一番初めに展示されている作品は、藤田自身の自画像。東京藝術大学に在学中に描いた作品だったはず。この頃は、黒田清輝が教師を務めていたこともあって、それを忠実に再現した作風で絵を描いている。藤田本人が本に書いたことでは、今頃の作風は不満で、黒を使ってはいけないというような決まりごとが気に入らなかったようです。

今回の藤田展では、

Ⅰ 原風景―家族と風景  Primal Landscapes–Family and Surroundings
Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで  Early Paris Day–The First World War
1920年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿  Self-Portraits and Portraits of the 1920s–Faces of the Times
Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代  The “Milky White Nudes” Era
Ⅴ 1930年代・旅する画家―北米・中南米・アジア  Artist on the Move–The 1930s in North America, Latin America, and Asia
Ⅵ-1 「歴史」に直面する―二度目の「大戦」との遭遇 Face to Face with History–Encounter with the Second “Great War”
Ⅵ-2 「歴史」に直面する―作戦記録画へ Face to Face with History–The War Paintings
Ⅶ 戦後の20年―東京・ニューヨーク・パリ  The Last Twenty Years–Tokyo, New York, and Paris
カトリックへの道行き  Path to Catholicism

 という区分になっていますが、Ⅰで注目したいのは、「自画像」と「朝鮮風景」の二作。自画像では画面は三つに分解され、緑がかった作品の中で、しっかりと顔に注目がいくよう計算された色遣いをしています。後に乳白色の裸婦以降、ぼくが気にしている水平線の問題があるのですが、この最初期の作品には水平線が異常に高い位置や低い位置に引かれているということはなく、真っ当に上手い絵という印象です。また「朝鮮風景」も同じく、その頃の日本人画家の西洋画という印象です。ここで風景画を見ておきたいのは、藤田がパリに行った後、「巴里城門」において、自らが一つの領域に達したと実感したことについて、「朝鮮風景」と「巴里城門」にどのような違いがあるのかを知りたいからです。

 

Ⅱはキュビズム風の絵画から始まります。この「キュビズム静物」やⅥ‐2「キヤンボシヤ平原」「嵐」などを考えると、藤田は本当に絵が上手い画家だったのだなと実感します。どんな絵柄もひょひょいと描けてしまうのだな、と。

今回の回顧展でも書かれていると思いますが、パリに着いた当初の藤田は、キュビズムなどの当時最先端の技法、流派の洗礼を受け、その影響を受けた絵画を描いています。これは2006年のユリイカだと思うのですが、藤田はキュビズムの正統な後継者である、という論考を読んだ覚えがあります。そこで書かれていたのは、藤田の平面的な絵画の技法、つまり日本画の技術を使った西洋画が、その平面性によって、キュビズム的だという話だったと思うのですが、今手元に藤田の資料が一つもなくて、困っています(母に渡して、それっきり返ってこない)。例えば、藤田の作品には偏執的とも言えるほど、丹念に書き込まれた布地がよく登場しますが、それはキュビズムのコラージュの技法と通底しているという話や、キュビズムに限らず、印象派でも技法を追求した結果、絵画が崩壊してしまう。つまり、何を書いているのかが分からなくなる。しかし、藤田はそれを布地への書き込み(コラージュ)や、絵画の地肌そのものを芸術とすること(乳白色の肌)を用いて、絵画の画面を保ったままキュビズムを徹底した点に、その凄さがある、という話だったはずです(記憶で話しています)。

これは個人的な見解で、一般的な理解とは違うと思いますが、キュビズムとは絵画を線の芸術へと回帰させた運動だと思っています。線の芸術とは何か。絵を描く時、上手く書くコツは見たままに描く、ということをよく教わると思うのですが、ぼくはこの見たまま書く、というのには二種類あり、そのうちの一つがキュビズムなのではないか、と考えています。で、その二種類とは何かというと、目で見たまま描く、と、頭で見たまま描く、の二種類だと思っています。詳しく説明すると、一般に上手い絵というのは目で見たままのものであり、それは空間を二次元の世界に落とし込んだものです。一方で、頭で見たまま描くというのは、絵が下手な人の特徴のように語られることもある通り、そこにはらしさというものがありません。が、ぼくらが本来見ているのは、この頭の中の空間であり、遠近法で描かれた絵画というのは、そこに奥行きがあるように見せかける技法でしかないのです。その欺瞞を暴こうとしたのがキュビズムであり、それを徹底しつつ、絵画を作り上げたのが藤田なのだ、とぼくは理解しています。キュビズムは遠近法を解体し、絵画を線だけで構成する芸術にしました。それがあのピカソの絵であり、訳の分からない形をした人や物です。見せかけるということを放棄して、ありのままを描く。ある時代以前は、描く対象によって、こう描くべきだという模範があったと聞きます。それを解体したのが印象派であり、それは自分の見たまま描く、自分の見た色で描くということでした(?)。その次がキュビズムだというのが、ぼくの理解な訳です。こう描くべきという世界から、見たまま描くという世界へ、そして、見せかけの空間を描くのを止め、一対の瞳で見た世界を、脳で総合したその結果を、絵画として表現する。

さて、これでようやく「巴里城門」の話が出来ます。ぼくはこの絵を見た時、藤田がどうしてこの絵をこれほどありがたがるのか、理解できませんでした。藤田は線の上手さと言われるような繊細さはなく、晩年に花開く鮮やかな色使いというものもありません。鬱屈とした画面に、パースの狂ったような人と遠景に見える建物。正直に言って、藤田が何を描きたかったのかが分かりませんでしたが、ここまで長々と書いたキュビズムの説明を合わせて、ようやくそれが分かったのです、多分。

まず「巴里城門」は三つのパーツに分解することが出来ると思います。それは自転車に乗った人がいる前景と、丘のような平原のようなものが広がる中景、そしてビルのような建物の並ぶ遠景です。この絵をじーと見ていると分かると思いますが、それら三つのパース?というか何というか、それぞれがまったく別ものに見えてくるはずです。それは言い換えれば、とても下手くそな絵なのです。もっとじーっくりと眺めていると、それらが非常に平面的に構成されているのが見えてくるはずです。三つのパーツをそれぞれ別々に作り、組み上げたという感じでしょうか。それは「朝鮮風景」で描かれていたのとは全くの別物です。「朝鮮風景」は正しく、そこに奥行きがあるように見せかける技法で描かれた絵画でしたが、「巴里城門」はその技法を用いずに、けれどキュビズムのように何を描いているのか、分からなくしてしまわないで、絵に仕立ててみせたのです。この見方で「私の部屋、目覚まし時計のある静物」を見てみましょう。これもまた描かれてはいけないはずのものが画面の下に描かれています。それは靴なのですが、画面の上の部分を見ても、この靴の描き方ははっきり言って、おかしいはずです。なぜなら、そこに靴が見えるはずはないから。ですが、藤田はそれを成り立たせてしまう。また成り立たせてしまう、その根拠となるものは、やはりパースが狂っているように見える、蝋燭立てであり、こちらに向かって垂れているクロスです。蠟燭立てを見ればわかると思うのですが、これはいくつもの視点から眺めたものを一つに組み合わせて描かれています。これは上述したように、頭で見たまま描く、つまり目で見たものを頭で合成して認識するという、人間本来の物の見方に拠っていると思うのです。

それがさらに顕著なのは「五人の裸婦」です。「五人の裸婦」において水平線は非常に低く描かれています。その低い線から女性の身体が立ち上がってくるのですが、一方で背景に目を移すと、彼女たちの後ろにあるベッドは果たして、このような写り方をするのか、ここでもまた前面に写っている女性たちと、背景のベッドとの齟齬が起きています。が、それらは画面の端を縁取る布地によって、隠蔽されます。また異常に低い水平線はそれを意識させないための技術でもあるのです。

水平線の低さについては、「アネモネ」や「バラ」も注目してみてください。

 

さて、乳白色の肌を完成させ、そのキュビズム的絵画世界の構築も終えて、何を思ったのか、藤田は中南米など、世界中へ旅に出ます。そして、この頃から絵のタッチががらりと変わり、色彩の濃い、リアリズム表現へ傾倒していきます。またも2006年のユリイカで、村上隆さんがおっしゃっていたことで、この頃の藤田はパワー不足を感じていたのではないか、とのことです。ぼくは今回藤田展と合わせて、迎賓館にも足を運んでのですが、コロンバンの天井画に対して、迎賓館の贅を凝らした装飾は、確かにパワー不足という感じを受けました。

またこの頃は壁画を描いていたりして、秋田の政吉美術館にある「秋田の行事」なども手掛けていたはずです。

そして、長い旅の果て、リアリズム表現の集大成ともいえるのが藤田嗣治による戦争画です。「アッツ島玉砕」でもキュビズム的、コラージュ的技法は健在です。多数の折り重なるように描かれている兵士たち、それらは一つ一つ輪郭を切り取ってみても、素晴らしい出来であり、画面全体はそれらをぎゅうぎゅうに押し詰めたという感じがします。また、兵士たちの足元に菫の花が咲いているのが、ぼくはとても気に入っています。シェイクスピアにもしゃれこうべに菫を添える詩があったと記憶していますが、藤田もまた西洋の伝統にのっとって、戦争画を描いたというのが定説のようです。ちなみに、ぼくは藤田の戦争責任については語りません。この素晴らしい芸術に対して、戦争は悪だとかいう、イデオロギーをもって眺めるのは、非常に損だと思います。ただ感じたままを受け取ればいい。それは、恐らく藤田自身がそう願って、戦争それ自体を絵画に封じ込めたいという思いをもって、この絵を描いたのではないかと思うからです。とはいえ、戦争を目の当たりにして、その本質からいって、反戦的になるのは当然の帰結とは思います。ただ、反戦ありきで見てほしくない。それは藤田の戦争協力についても同じです。戦争画だからと言って、その芸術的価値が損なわれる訳では決してない。絵画そのものを見てほしい、とそう思うのです。

 

戦後の藤田は、一周回ってパワーアップした帰ってきた藤田という感じです。1920年代の藤田は淡い色彩を好んで描いていたようですが、この晩年に近い藤田は、その色彩センスもまた抜群です(初めからセンスは抜群ですが)。「優美神」や「ジャン・ロスタンの肖像」、そして「カフェ」。非常に肉感的でありながら、初期藤田の淡い雰囲気を持ち合わせたこれらは、まさに傑作です。ぼくはこれら後期の作品に対して、語るべき言葉を持ち合わせていないのですが、とにかくその色彩センスと絵の上手さ、そこに肉があるという感じを非常に受けます。この肉、というのは厚みとも、やわらかさとも言える何か、としか言えないのですが、「礼拝」やポーラ美術館が保有している「果物と少女」、また、今年山王美術館が公開していた「花」などを見てもらえば、ぼくの言っている肉、という印象が分かるかと思います。

 

タイトルに要諦などと謳っておきながら、その実、戦争画以降は非常に曖昧な表現に終始した本ブログですが、ここまで読んでくれる方はいらっしゃるのでしょうか。

簡単に、藤田の絵画を概観すると、パリにおいて平面表現を追求した初期、リアリズムに傾倒し、戦争画へ至った中期、そして初期中期、二つを融合させ、さらなる高みへ達した後期、というような言い方が出来るでしょうか。まあ、ぼくが今回、書いておきたかったのは藤田的キュビズムの話であって、それ以外はまあどうでもいいっていったらどうでもいいのだけれど、でも一番はこうして藤田について書くことによって、この素晴らしい画家がもっと一般に周知されていったら、嬉しいなぁと思います。

 

さあ、もうおしまいにしてもいいとは思いますが、今回の話から漏れてしまった絵もたくさんあって、それを紹介して終わりたいと思います。

まずは「争闘」。猫のくんずほぐれつを描いた作品。この絵で注目してほしいのは、猫の毛。藤田は線を引くのが非常に上手い画家、というのが定説ですが、それが実感できるのが猫の絵と花の絵。猫の細く、こまかい毛をあれだけ自在闊達に描けるのは、一言で凄い。

次に注目してほしいのは、やっぱり花。上でも取り上げましたが「優美神」の野に咲く花は一見の価値あり。最初期の「婦人像」の花瓶から、暗い表情の女の子を描く「花を持つ少女」の手に持った青い花、そして、この回顧展には来ていないのだけれど、山王美術館の「花」、これは画像検索でもその凄さが分かると思うので、どうか調べてください。ちなみに「カフェ」の女性の黒いドレスは絶対に生で見た方がいいです。あの黒色は引き込まれます。

そして、最期はやっぱり布地。「五人の裸婦」「舞踏会の前」「友情」などなど、乳白色の裸婦における布地のこまやかさは必見。どうか、藤田の繊細な筆運びに酔いしれてください。

 

気付けば夜中二時の八月の夜